1. ねじれた関係
シリーズ 01
2006.4.15 西邑 亨

© Nishimura,Tohru

1. ねじれた関係

■「ねじれの位置」
――Winnyと「現在の」行政システムの関係

ぼくは、中学校の数学(図形)で「ねじれの位置」という空間図形の関係を教わったのだけど、今の中学校ではどうなっているのだろう? Winnyと「現在の行政システム」はネットワーク社会という空間の中で「ねじれの位置」の関係にある。つまり「永遠に交わらない」し、「並行」という特別な関係にあるわけでもない――はずだ。
現在の「行政システム」は「匿名性」が存在しないことを前提としている。「個人」が関係するあらゆる行政サービスは、その個人が「住民登録」と「戸籍」に関連づけられるか、関連づけ可能であることを前提として行われている
 それに対してWinnyは、コミュニケーションにおいて可能な限り「匿名」を提供しようとしているシステムだ。Winnyネットワーク上で流通する「情報」では、発信者と受信者の特定が困難にされている。
「個人の厳密な特定」を基礎とした「社会のコントロール」をその目的に含む「現在の行政システム」は、「個人を特定しない情報共有」を目的とするWinnyと永遠に出会うことはなく、2つはどこまでも無縁なはずだった。

*「情報公開請求」などにおけるある種の匿名性は、近年になって始まった「行政の透明性確保/行政情報の社会的共有」という、伝統的な行政活動からみれば例外的な文脈から発生しているものだ。

■Winnyによって何が起きたのか?
――情報セキュリティ対策が欠如している部分の「洗い出し」

この数週間、マスコミはWinnyを「原因」とする「個人情報漏洩事件」が大量に発生していることを、連日伝えてきた。「情報漏洩」は「行政のパソコン」に限らない。あらゆる場所の、きわめて多数のパソコン上で起きている。そしてこれらの事件は、警察官(あるいは行政職員)から「Winny不使用」の誓約書を提出させるという事態にエスカレートし、きわめて短時間の間に安倍官房長官の「Winny狩り」宣言にまで行き着く。安倍さんはこう宣言した。

 国民の1人1人に注意してもらい、
 対策をとってもらわないと
 情報漏洩は防げない
 最も確実な対策は、PCでWinnyを使わないこと

 むろんここには、大きな誤解と偏見がある。「情報漏洩」の原因となっているのは、Winnyではない。政府自身も、「Winny自体に違法性はない」と言っている。大量発生が続く情報漏洩事件の原因は、Winnyのプログラムが抱え込んでいるセキュリティホールをねらった「Winnyウイルス」(Antinnyとその亜種など)だ。
 だから、行政であれ民間であれ、情報セキュリティレベルが一定水準で確保されていれば、少なくともこれほど広範な「情報漏洩」は起きなかった。一連の情報漏洩事件の原因としては、この「情報セキュリティ対策の不備」の方が、むしろ本質的なのだ。だから「(国民が)PCでWinnyを使わない」状態が実現できたとしても(むろんできるわけがないのだが)、情報漏洩事件がなくなるわけじゃない。
Winnyが意図せずに招き寄せたことはすごくはっきりしている。
 日本の社会全体で起きている押しとどめようもないネットワーク社会の深化が引き起こしている、現在の危機的なゆがみ――ネットワークの普及にみあった情報セキュリティ水準が実現されていないという日本のネットワーク社会の危機的な現実を、Winnyウイルスは、具体的に「洗い出し」ている。
 Winnyから現在のネットワーク社会が得た情報はすごく貴重なものだ。私たちが何をすれば、ネットワーク社会をより安定して運営していけるのか――少なくともその内の「情報セキュリティ対策」分野における必須の課題が、いま「Winnyウイルスの蔓延」という事態によって洗い出されつつある。  

■「周縁」で起きているねじれた関係の「交差」

こうした事件は、「永遠に出会うはずのない」2つのネットワークシステム――Winnyのネットワークと行政のネットワークが、どこかで「交差」してしまったことを示している。
 そしてこの交差は、中央集中化された行政システムの「周縁」――自衛隊員や警察官などがシステムの末端に接続した「パーソナル」コンピューターという「周縁」で発生している。
この事実は、ネットワーク社会の側からみればすごく象徴的なことだろう。ICTを基礎技術として構築されている現在の(そして将来の)ネットワーク社会の中では、もはや(行政が採用している)中央集権的な社会関係では、システム(人間と機械の複雑な関係によって構築される社会機構)をコントロールできなくなっている。
 同じことが、「住基ネット」でも指摘されてきた。
 「住基ネット本体」の「周縁」に位置づけられた「市町村庁内LAN」が、「住基ネット」全体を重大な危険にさらしている。そして、この問題を有効に改善する手法は、「中央集権的な行政組織によるコントロール」ではない。ICTという技術体系で普通に採用されている「分散的な組織によるコントロール」の手法を行政システムも採用すべきだという指摘は、すでに長野県住基ネット安全確認実験の関係者など、専門家や情報セキュリティ関係の学会が早い段階から行ってきた。

 この「周縁」部分で起きている問題こそ、Winnyが洗い出すことになった「情報セキュリティ対策の欠如」という状況にほかならない。

■日本政府の「失敗」
――「より安全なWinny」の提供が禁止されている

「国民の1人1人に注意してもらい、対策をとってもらわないと」という安倍さんの指摘はいいだろう。
 だけど、日本政府はその次のステップで完全にまちがえた。

 「いまただちに」やらなければならないことは「Winny狩り」じゃない。「Winnyウイルスによる情報漏洩事件」の報道の増加に比例して「Winny利用者」数も急速に増加しているという現実をみれば、そんなことはできるはずがないことはすぐにわかる。
 まず必要なことは、2年間もの長期にわたって放置されてきた「Winnyの持つセキュリティホール」をふさぐことだ。この対策は確実に、日本における情報セキュリティ水準の危機的状況を改善してくれるだろう。
 だけど、それができるのはWinny開発者やその周辺の技術者ではなく、じつは日本政府(あるいは京都府警察本部)なのだということも強調しておこう。
京都府警は2年前、Winnyの開発者金子勇さん(著作権法違反幇助の疑いで逮捕され、現在無罪を主張して公判中)から、Winnyのバージョンアップを今後一切しないという誓約書を取り付けているらしい。この誓約に縛られて、開発者はその後2年間、セキュリティホールをふさぐためのバージョンアップ作業ができないでいる。
 行政(京都府警)はこのような誓約の無効を早期に宣言して、金子さんにバージョンアップの作業をさせるべきだった。
「安全性を強化したWinnyの提供と普及」は、少なくともWinny自身が洗い出してきた「周縁における情報セキュリティ対策の不備」という状況を、その「周縁」でパソコンを操作するひとたちの自発的な「バージョンアップファイルの適用」によって確実に改善する。
 これは「中央集中的なコントロール」が持っていない「分散型システム」におけるコントロールに特有の「実効性」だ。
 むろん、それだけで「情報セキュリティ」状況が十分な水準を満たすわけではない。だけど日本のネットワーク社会の情報セキュリティ水準は、「誓約書の無効宣言」というたったそれだけのことで、実効的に改善できることははっきりとしている

*「著作権侵害を拡大しかねないWinnyのバージョンアップは、とうてい許されない」と、京都府警や日本政府は言うのかもしれない。だが、Winnyネットワーク上での「著作権法違反」という状況に対して、即効的な対策手法は存在していない(時間をかけて事態を「改善」するほかないだろう)。それに対して日本の社会における「情報セキュリティの危機的な状況」を効果的かつ即効的に改善することは容易に可能なのだ。
 エイズ感染の拡大を防止する対策として、「売春」の取り締まりとはまったく別のレベルで「コンドーム」の配布が行われ、あるいは麻薬常習者のウイルス性肝炎感染を防止するために「清潔な注射針」が配布されているのと同じレベルの、これは緊急避難的対策だ。
 「著作権侵害状況を拡大することにつながるかもしれないという理由で、情報漏洩を多発させている危機的状況を放置すること」と、「効果的な情報漏洩防止対策を採用すること」とでは、どちらが「法益」として大きいかははっきりしているだろう。

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